病院に来て欲しいと言われた旨を優菜から伝えられた週の土曜日。諸々の検査を終わらせた龍之助は、病院の待合室で緊張しながら名前を呼ばれるのを待っていた。
優菜が言った、深刻――、と言う単語が頭から離れず。ドキドキと心臓が強く鼓動するせいで落ち着くことが出来ない。
「タツ君……大丈夫?」
「母さん……」
見かねたように、龍之助の膝の上に優菜が手を添える。こちらを見る表情は不安そのもので、診察を受ける本人よりも苦しそうに、表情を曇らせていた。
「大丈夫だよ、母さん」
空気を重くしないよう、そう言ってからわざとらしいくらいの笑顔を作る。自分だけではなく、家族まで不安にさせたくなかった。
龍之助が返事をすると、並んで座っていた姉二人が口を開く。
「まぁ大丈夫だろ……緊急性のある話ならこんなに間を開けないだろうし。経過報告とかそういう感じの奴じゃない?」
「……多分、きっと、そう……」
亜花梨の言葉に、静江が独り言のように呟き、何度も頷く。家族が明るく努めてくれるお陰で、ざわついた心が徐々にだが平静を取り戻してきた。
(心優しい家族を持って、僕は幸せ者だ)
「藤宮さん。藤宮龍之助さーん」
「あ――はい」
家族への感謝を抱きながら、話をしていると、診察室の扉が開き、呼び出しがかかる。
龍之助の名前を呼んだのは、最初にここに来た時……|大変お世話に《・・・・・・》なった看護師、茜だった。
「久しぶり之助。元気してた?」
「元気してるならここには来てないですよ……」
「それもそうですね。じゃあ中へどうぞ」
茜が腕を伸ばし、診察室の中に案内されると、これまた見覚えのある医者がいた。最初に見てくれたお医者さんだ。
「こんにちは」
「あ……こんにちは」
淡々とした挨拶で出迎えてくれた医者に頭を下げて椅子に座る。一緒に入ってきた家族達は、龍之助の後ろに立ち、診察の様子を心配そうに見ていた。
「ふむ――なるほど」
検査結果と思わしきものに目を通しながら医者の呟く声がやけに大きく聞こえる。シンとした室内に、紙のめくれる音が響き。龍之助の胸を突き破りそうなほど、激しく心臓が暴れまわっていた。
すると、カルテに何かを書いていた医者が椅子を回してこちらを向く。何を考えているかわからない瞳が龍之助を見つめ。思わず息を飲む。
「検査の結果なんですが、藤宮さんの状態は良好。極めて健康的と言える数値でした」
「……え?」
頭の中で想像していた単語と正反対の単語が出て来て、龍之助は間の抜けた顔をしてしまう。
良好……健康的……。て、ことは……。
医者の言葉を龍之助はゆっくり噛み砕く。しかし医者の方は龍之助の様子を気にも留めずに説明を続けた。
「尿検査の方も問題ありません。異常のあった尿蛋白も正常値に戻っていますし。比重についても平均内で、性機能だけではなく、糖尿や腎臓の機能低下の心配もないでしょう。完治といって問題ないと思います――」
やたらと数字が並んだ検査結果の書面を見せながら、医者は数字に指をさして説明を続けた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
淡々と説明を続ける医者を呼び止める。
(完治って治ってるってこと……だよね…………)
医者は間違いなくそう言った。他の病気の心配もないという説明を付属して、これ以上ないくらいに龍之助の身体が健康だと教えてくれた。
そのこと自体には全く何も問題はない。もう爆発する危険がなくなったのだから、内心悪いことばかり想像していた反動も手伝って、飛び跳ねそうなほど嬉しいぐらいだ。
だが……一つだけ気にかかることがある。
「あ、あの……それって……いつから治ってたんでしょう?」
「いつからって、いつから完治した状態だったのかってことですか?」
「はい……」
「それは流石に……まぁでも、これだけ綺麗に治ってますから、結構前から良くなってたんじゃないですかね?」
一難去ったせいか、重苦しい龍之助の質問と対比するように、医者は非常に軽いノリで返答した。
「そうですね――この前、お母様から話を聞いた時に、最初と比べて苦しむ回数や行為への間隔が長くなっていると思いまして。それでピンときたんですよ、良くなっているんじゃないかと。それで検査をしてみたら元々そんな病気なんて無かったかのように綺麗になってるんで、やっぱりかーって感じでしたね」
「じゃあ……少なくとも今週の間には……」
龍之助の言葉に医者は深く頷く。
「治っていたと思います。いや、お疲れ様でした」
「……」
気持ちのいい笑顔を見せながら、医者は締めの挨拶に入る。
いや待て、待て待て、待て!
と、いうことはアレか? もうすっかり良くなっているのにも関わらず、家族に性欲処理を頼み込んでいたってことか? そんなの……介護でもなんでもないただの近親相姦じゃないか。
龍之助の額に脂汗が滲む。
今までは介護という名目があるからこそ関係を持っていたし、名目があるから素直に欲求に従えた。しかし、実のところそんなものはとっくになくなっていて、ただ己の快楽に従って愉しんでしまっていたのなら、全然内容が変わってくる。
ちなみに言うと、今日だって病院前に亜花梨に一回抜いて貰っている。医者の言い方だと、少なくとも今日の一回は間違いなく健康体での一発であり、必要のない奉仕だったということだ。
龍之助はゆっくりと背後に振り向くと、姉と母親は真顔でこちらを覗いている……。龍之助はその表情がとても冷たく、恐ろしいものに感じた。
————————- 第47部分開始 ————————-
【サブタイトル】
6,なかよし家族(2)
【本文】
「と、いうわけなので、もう通院は結構ですよ。お大事に」
そこまで言うと、医者はカルテを閉じて、別のファイルを取り出した。
こちらにはもう関心のない様子でファイルを覗く医者を尻目に、「ありがとうございました」と一言いって、椅子を立ち、項垂れながら診察室を後にする。
家族と目を合わせることが出来ない。嬉しい報告のはずなのに、龍之助の心には負い目しか入ってこなかった。
(うう……誰も何も言わない……多分軽蔑されてるんだろうなぁ……)
気付こうと思えば、気付くタイミングはいくつかあった。
最初に比べて回復が遅くなっていたり、医者の言うように、確かに間隔も長くなっていたと思う。それなのに、気持ち良さにかまけて自身の体調の変化に気付けなかった。
見えないこととは言え、身体からのサインはあったのだ。龍之助が家族の立場なら、きっと性欲まみれの自分に軽蔑心を抱くだろう。そう思うと、とても目を合わせることが出来ない。
「…………鈍感之助」
「え……?」
診察室から出ていく際に、茜の声が聞こえた。
囁くような小さな声に振り返ると、診察室の扉は既に閉じられていた。
※
「た、ただいま……」
病院からの帰り道。終始無言のまま、家族と家路に就いた。
帰宅の挨拶をしながら、重い空気のまま玄関に入る。
うう……居た堪れない。
居心地の悪さに龍之助は靴を脱いでから、急いで自室に逃げ込もうとした。
「おい、待てよタツ」
しかし、亜花梨の一言で龍之助は動きを止める。逃亡は失敗に終わってしまった。
「はい……」
追い詰められた小動物のように、怯えて縮こまりながら振り返る。
病院に行く前よりも強くなった不安感と焦燥感で、すり潰されてしまいそうだった。
亜花梨は優菜に目配せすると、何かを察したかのように頷いて見せた。
「タツ君、お話があるの。私の部屋まで来てくれないかしら?」
「え、ここじゃ駄目なの?」
「うん……だってここじゃあ狭いでしょう? 声も外に漏れちゃうかもだし」
声が漏れるって……室内なのだから声を抑えれば、外に聞こえる事はないだろう。
それとも、今から広々とした空間で声を荒げるようなことを今からされるのか。
家族の思いつめた様子に、龍之助の不安は大きくなるばかりだった。
「ほら、さっさといくぞ」
促されるまま、龍之助は優菜の私室へと向かって歩く。
心境は、独房へと搬送されている囚人のようだ。
後ろを歩く家族の重圧を受けながら、龍之助は覚悟を決める。
どんなことをされたとしてもしょうがない、自覚がなかったとはいえ、家族の、女性の身体を弄んだのだから。何をされても受け入れよう。誠意を見せるには、それが何より一番の方法だと思った。
私室の扉まで着いた龍之助は、意を決したように、扉を開ける。
(どんな責め苦を受けても、絶対に弱音は吐かないぞ……!)
鋼鉄の意思を心に秘めて龍之助は部屋に入った。
扉が閉まる音が聞こえた瞬間、龍之助の身体が温かいもので包まれる。
「あぁ……タツ君……」
「ちょっとママッ、ずるいっ!」
「わ、私も……抱き着きたい」
龍之助は揉みくちゃにされながら、何が起きているのかと困惑していた。怒声を上げられ、自分たちの身体を使って欲望を処理していたことに対して、罵声を浴びせられると思っていたのに、実際は想像と違い、まるで自分の物だと主張するように、龍之助を奪い合っていた。
訳もわからないまま肉の海に溺れていると、抱き着いていた優菜が耳元で囁く。
「お医者さんが言ってたわよね。タツ君の病気、大分前に治ってたかもって」
「う、うん……」
「じゃあ最近までの性欲は、病気で促進されたものではなくてタツ君自身のもの、ってことになるわよね」
「……うん。ごめんなさい」
申し訳なさそうにしている龍之助に、優菜はきょとんとしている。
「なんで謝るの? むしろ嬉しいくらいよ」
「え……」
「だってそれって、タツ君が自分の意志で私達を抱きたかったってことじゃない。私は始めからタツ君のことが好きで好きでしょうがないし――この娘達もまんざらではないはずよ。ねぇ?」
優菜が姉二人に振り返ると、二人は恥ずかしそうにしながら、それぞれ明後日の方を向いていた。
返事がないのは肯定と同義である。つまり優菜の言葉通りなら、二人もこの状況を楽しんでいたということだ。確かに亜花梨と静江は両方ともこちらを好意的な目で見ているのは気付いている。そういう会話もしているし、自分自身、そこまで朴念仁ではない。
だからこそ、好意を持った相手がその実、欲求を満たしているだけだったと認識した今、二人は怒りを抱えているものだと考えていた。
「それとも、タツ君は私達の相手、嫌なのかしら? もう元気になったらそういうことしたくない?」
「そ、そんなこと……」
ある訳がない。
優菜のたわわに実った双丘を背中に押し当てられ、よくわからない甘い香りが鼻孔をくすぐるだけで、発情期に入ったように昂奮を覚えてしまう。
今だって、周りの様子に期待感が募ってしまい、病気の時と変わらず、下腹部ははちきれんばかりに充血を起こしていた。
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