吸血鬼狩りと弟子(2/4)

「――まず吸血鬼の弱点は頭じゃない、心臓だ。そこを潰さないかぎりこいつらはゴキブリみたいな生命力で蘇り、反撃してくる」

 心臓を貫いた拳を引き抜きながらヒューゲルは言う。

「そしてこいつらは完全に死ぬと灰化するんだ。逆に言えばどれだけダメージを与えたとしても、人の形を保っているということは生きているということだ。これも教えたはずだぞ」

 引き抜いた手には吸血鬼の心臓が握られていて、まだ脈動を続けている。ヒューゲルはそれを眺めながら躊躇う様子もなく握り潰す。

 すると吸血鬼は途端に苦しみだし、四肢の先から徐々に身体を崩壊させていく。

「相手も大人しく死ぬつもりは毛頭ない。あらゆる方法で欺き、騙し、こちらの命を絶ちにくる――命のやり取りをしているんだ。それを理解せず、容易く標的から目を離す狩人を一人前とはとても言えないな」

 灰になっていく吸血鬼から目を逸らさずにヒューゲルは言った。彼の言い分はいちいちもっともで、アンリエッタは自身の失態に恥じて目を伏せる。

「だが――」

 しゅんとしている彼女の頭にヒューゲルは優しく手の平を乗せる。そして実の娘のように、優しく戦闘で乱れた髪を整える。

「埃を使ったあぶり出し、そして俺の言動から状況を察する機転は素晴らしかった。他者をアテに出来ない状況だと自身の柔軟さがそのまま生に繋がる。経験の浅さ故油断はしたが、お前には生き残る才能がある。そう確信したよ。良くやった。」

「師匠……」

 褒められたアンリエッタは頬を染めて恥ずかしそうに顔を伏せる。

「師匠、くすぐったい」

 照れ隠しでそう言った彼女は頭を撫でるヒューゲルの手を振り退けた。彼の手は驚くほど簡単に頭から離れる。

「おっと……」

「……師匠?」

 手を振り退けただけなのに姿勢を崩したヒューゲルにアンリエッタは怪訝な表情をする。よろついた彼の身体を支えようと腕を掴むとぬるりとした感触がした。

「これ……血……⁉ 師匠っ、怪我をしたの⁉」

「ん……肩口をちょっとな。流石に庇いながら回避する余裕まではなかった」

「そ、そんな……わたしのせいで」

 アンリエッタの心中に焦燥感が押し寄せる。自身の油断のせいで師匠に怪我を負わせてしまった。彼女の中でそれは絶対に行ってはいけないことなのだ。

なぜなら、アンリエッタにとってヒューゲルは尊敬するべき師であり、育ての親であり、男性として好意を寄せる存在なのだから。

「どうしよう……どうしよう……」

 手の平いっぱいに付着した血液にアンリエッタはパニックを起こす。暗がりでよくは見えないが、触れただけでこの血液量なのだ。ヒューゲルが負った怪我が深手であることは容易に想像できた。

「ご、ごめんなさい師匠……ごめんなさい……」

「おい……大丈夫だから落ち着け。とりあえず標的は仕留めたんだ。一度拠点に戻るぞ」

「う……うん……」

 狼狽するアンリエッタを落ち着かせた

ゲルは討伐の証拠として吸血鬼の遺灰、その一部を袋に詰めてからアンリとともに部屋を去った。

 道路に出て街頭に二人の姿が照らされる。ヒューゲルを先導するように出て来たアンリエッタの長い、綺麗な白髪がたなびく。

「師匠、早く戻って治療しようっ」

「わかった、わかったって」

 外に出てからせっつくようにアンリエッタはヒューゲルの方を見た。するとアンリエッタは驚愕した。

 街頭に照らされたヒューゲルの右肩はざっくりと切り裂かれており、肩だけに収まらず胸元まで到達していた。

 出血は未だに続いており、彼が着ているシャツはドス黒く変色していた。肩口を抑えながら気だるそうにヒューゲルは道路に出る。強靭な体躯をした彼がこうなるのだ。並みの人間なら意識を保っていられないほどの出血量だとアンリエッタは慌てた。

「全然ちょっとじゃない、大けがじゃないのっ! 早く帰って処置しないとっ」

「大丈夫だから、ちょっと静かにしてくれ。周りに気付かれたら大事になる」

 時間は深夜。道路といっても人通りは無く、車も一台も通っていない。ここは日本であり、海外からやって来た二人にはそれほど違和感がなかったが、とても特異なことだった。だが、それには理由があった。

 さきほど屠った吸血鬼がこの周辺で獲物を乱獲していて、外出警戒の触れが出ていたのだ。伝染病や治安の問題ならあまり効果はないだろうが、周りからすれば快楽殺人犯のようなものが外をうろついて獲物を探しているのだ。誰も好き好んで外に出ようとはしないだろう。

 脚をひきずるヒューゲルを支えながらアンリエッタは歩道を歩く。現場からほどなく歩いた場所に、二人が拠点として使っている一軒家があった。吸血鬼退治を依頼された際、クライアントが用意した家だ。

 玄関を開けて、アンリエッタは急いでヒューゲルを運び込んだ。

「待ってて、今治療道具を持ってくる」

「ゆっくりでいい。慌てて治療器具を壊さないようにな」

 横になったヒューゲルに嗜められたアンリエッタは出来るだけ慎重にキッチンまで移動して湯を沸かしながら持参した荷物から治療器具を取り出す。その中には万一吸血鬼に噛まれた際、眷属化を止める血清や毒素を止める純銀で作られたメスや鉗子などといった専用の道具が入っていた。

 それらを確認したアンリエッタはコンロの火を止め、沸騰したお湯とともに治療器具を持ってヒューゲルを寝かしている寝室まで戻る。

「師匠、大丈夫っ⁉」

「……あぁ」

 アンリエッタの応答にヒューゲルは辛うじて返事を返した。しかし声は弱々しく見るからに衰弱していた。傷口はさきほどよりも明らかに黒く変色しており、濁った色が血管を通して心臓に向かっていた。

(眷属化しようとしている……? 噛まれていなかったのに)

 通常、吸血鬼に噛まれると眷属と呼ばれる状態になってしまう。一度眷属と化してしまうと薬物依存者のように再び噛まれることを渇望し、抗い難い欲望と戦う運命が待っている。その欲望はすさまじく、過去にあった事件では噛まれたいが故に四十八人もの人間を供物として主に渡した人間がいたぐらいだ。

 人間が眷属にされているかどうかの判断は二つ。一つは軟禁した後に放置しておくこと。そうしていると直に噛まれたい欲望に満たされた眷属は発狂して暴れ出してしまう。そしてもう一つ、もっとも簡単な判別方法は裸体を見ることだ。

 眷属と化した人間は吸血鬼の毒気にやられ、仄かに青が混じった黒い血管が心臓に向かって伸びていく。ヒューゲルの状態はその状態に近かった。心臓までは到達していないものの、肩口の傷から伸びる黒い線は着実に心臓に向かって浸食を始めていた。

「待ってて、今すぐ薬を投与するから」

 アンリエッタは持ってきた器具を広げ、眷属化を防ぐワクチンが入ったガラス瓶を取り出す。そしてキッチンから持ってきた布をお湯に浸したのちに自身の腕を清めようとした。

 怪我はしていないもののアンリエッタもついさっきまで吸血鬼と一戦交えたのだ、何かしらの毒素が付いていない保証は無かった。

急いでお湯に布を浸し、薬が入った小瓶の蓋を開ける。

「んっ……! 固っ」

 しかし、蓋が思ったよりも固く、中々開かない。そうしている間にもヒューゲルは呻き声を上げて顔中から汗が噴き出してきていた。

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