シャッター街の商店街を歩いていると、その中にぽつんと店を開けている本屋があった。
外から店の中を覗いてみるも客は見当たらず、閑散とした店内を見て、どうやって経営を続けているのか不思議に思うくらいだ。だが、こんな雰囲気は嫌いじゃない。
引っ越してきてから数日、周辺の探索を兼ねて見つけた本屋に|柿崎真《かきざきまこと》は胸をときめかせた。
真は本が好きだ。荷解きの終わっていない我が家の段ボールの中には大量の本が入っている。興味本位で読んでいない本も大量に持ってきているので新しく購入する必要もないのだが、店の雰囲気が気に入った真はふらふらと店内に足を踏み入れた。
(へぇ、結構色々な種類があるんだな)
本棚に並ぶ本たちを眺めて興味の引く題材はないかと物色する。本の量は大型のブックストアと比べると比較にならないほど少ないが、普段は見ないような古書、専門書が多く真は瞬く間に引き込まれていく。
その中から心理学を取り扱う本を見つけて、なんとなしに手に取ろうとしたとき、店の奥から小さく、それでいてよく通る声が聞こえた。
「いらっしゃい。新規のお客さんは珍しいわね」
「あ……ど、どうも」
真は突然の声掛けにビクリと身体を跳ねさせてから、相槌を返した。
(び、びっくりした。店員さんそこにいたのか)
あまりに静かで誰もいないと思っていたからとても驚いた。心臓がまだバクバクと脈打っている。
(こういうところで店員に話しかけられるのは苦手なんだよなぁ、どうしようかな)
真は本を選ぶ際、人の意見や価値観に左右されたくないというこだわりがあった。買い物に出る前に、評判やレビューを見るなどもっての他だし、人からおススメされた本はその時点で読む気が失せる。何も知らない状態で巡り合った一冊、その作品を面白いと思える一瞬が真は本を読むにあたり何よりもの喜びだったからだ。
だからこそ、店員に話しかけられたりするのがとても億劫だった。日常会話だけでも本を探す集中力が削がれるし、おススメされようものなら買い物をする意欲すらなくなってしまう。何か余計なことを言われる前に店を去ろうかと考えていたら、案の定店員が話しかけてきた。
「何か探している本でもありますか?」
「あ、いえ。そういう訳ではないんですけど……」
適当に言い訳を作って立ち去ろうと考えながら、店員のほうに向きなおると誠は言葉を見失った。
店員は女性だった。
齢は二十半ばから後半といったところだろうか。腰まで続く長い黒髪。前髪は目に掛かるくらいの長さで、髪の間から彼女の半分閉じたような細い瞳がこちらを覗いている。まるで魔女のようなミステリアスな雰囲気を纏った女性に真はまともに目を合わせられなかった。
思わず視線を下に逸らすと、ニットのセーターに包まれた巨大なたわわが目に映り。またしても視線の置き場に困ってしまう。
「探している本がないのでしたら、わたしのおススメを教えても大丈夫でしょうか?」
水面を揺らすことがないと思えるほど静かな声を出しながら彼女は真の近くにやってくる。
近くにくると思ったより身長の高かった彼女の足取りも静かなもので、長い両足を動かし、足音をさせずに近寄ってくる。その癖臀部の主張は大胆なもので、彼女がこちらに近づくたびに、どうしても目が寄ってしまうほど腰をくねらせて歩いてきていた。
「あ……だ、大丈夫です。自分で面白そうなのを探しますから、気にしないでください」
彼女の容姿に面食らった真だったが、ここだけは譲れない。
目を伏せたまま、彼女に向かってはっきりとそう言った。だが、それでも彼女は食い下がる。
「そんなこと言わずに、このお店だけ先に入荷される、とっても面白い本があるんですよ。是非読んで見てください」
「いや……本当に大丈夫なんで……」
このお店だけ先に入荷される?
そんな特別扱いされることなんてあり得るのだろうか。
女性の言葉に少し興味が湧いた真は彼女の接客に押され気味だった。
なんせどう見ても閑古鳥が鳴く佇まいの店内なのだ、そんな店に特別優先して卸される本なんて興味を引かないはずがない。
(もしかしたらその本のお陰で店をやってこれてるのかも、だとしたら相当面白い本なんだろうな)
彼女の勧める本の正体がわからず頭の中で妄想が止まらない。どんなジャンルなのか、一般向けなのか、専門書なのか、大判か、文庫本か、妄想が進めば進むほど、真は本の正体が気になっていった。
真の好奇心を後押しするように、彼女はこう言った。
「今回の本は卸してからまだ誰も見てないの。つまり貴方が最初の読者。そういうの、興味湧かない?」
「……少しは」
根負けしそうな真はつい本音が出てしまっていた。
素性もわからぬ本。その本の最初の読者なんてまるで運命みたいじゃないか。ならば彼女は、その運命に引き合わせてくれる案内人なのでは。真は好奇心に心を躍らせる。もう彼の心中はその本を読んでみたいという気持ちでいっぱいになっていた。
「それじゃあ是非見て行ってください。こちらにあります」
彼女に案内された先についていくと、店内の角、外から見えない位置に連れて行かれた。普通なら新刊の場合、外や店の入り口に飾るのがセオリーだ。それなのに人の目に当たらない奥に並べるなんて、売る気があるのかないのかわからない配置に真は困惑する。
奥まで来ると、女性は平積みされている本の中から一冊を手に取る。
「これです。是非お手に取ってみてください」
女性から本を受け取ると、表紙には女性が男にのしかかられる写実イラスト。そしてタイトルまで含めて、見たまんま成人向けの本だった。
「ちょ、ちょっとっ。これがおススメの本なんですかっ?」
真は狼狽して女性に言う。想像していた内容とあまりにかけ離れた本を手渡され、真の困惑具合は最高潮に達していた。それに、困惑具合を加速させている要素がもう一つあったのだ。
それは表紙の女性、どうみても店員の女性そのものに見えたからだ。そんな本をなんの臆面もなく差し出す彼女に、真は気恥しさでいっぱいになっていた。
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