マンガ家とアシスタント(1/4)

 七月。梅雨の煩わしさから解放されたと思いきや温帯低気圧に悩まされるジメジメとした季節。

 社会人の皆々様は仕事に出かけるのが億劫になる時期ではあるが、|森崎慎太郎《もりさきしんたろう》には全く関係のない話だった。

 なぜなら晴れていようが豪雨が降り注ごうがずっと室内でずっと原稿と睨めっこをしているからである。

「先生、トーンとベタ上がりました。確認お願いします」

「あいよ。そこらへん置いといてよ」

 ネーム原稿にペンを走らせながら|早乙女《さおとめ》ぽぷらはこちらに一瞥もくれずにそう言った。ちなみにこの名前はペンネームなどではなく本名である。

 彼女曰く、ほんわかとした空気をまとった両親が、生まれてくる子供……すなわち彼女が女の子だとわかった時にかわいい名前を付けようと考えたらしい。確かにかわいらしい名前ではあるが……正直DQNネームだと思わざるを得ない。

 といっても、当の本人は「ペンネームを考えなくても良かったから楽だわ」と笑い話にしているくらいだったし、案外気に入っているのかもしれないが。

 言われた通りに確認待ちの原稿を彼女の机に置いてから、ぽぷらに目を配る。

(相変わらず筆の速いことで)

 今時珍しいアナログ主義のぽぷらはガリガリとペン先を走らせていた。センスなのか経験値の差なのか、慎太郎と比べるまでもない圧倒的速度でキャラクターの輪郭を描き込んでいく。まさに職人芸だと思わせる筆捌きに慎太郎は目を奪われていた。

 彼女のところでアシスタントを初めて半年近くが経っていたが、慎太郎も例に及ばず漫画家志望である。自分なりに作品を制作しては持ち込みをして、担当までつけてもらっていた。

 だがしかし、どれだけ頑張っても掲載までにはこぎつけずに苦心していた。それを見かねた担当からぽぷらのアシスタントをしてみないかと話を持ち掛けられたのだ。

 独学では限界を感じていた慎太郎は喜んで願い出た。早乙女ぽぷらと言ったら書籍どころかアニメ化もしている人気作家であり、そんなところで働けるのならば自分の足りないものが埋められると思った。だが、実際働いてみて慎太郎は痛感した。自分の穴だらけの実力に。

「ん~、んっん~♪」

 鼻歌を歌って作業しているぽぷらのペンは止まらない、少し見ている間に一ページの線画が終了してしまっていた。慎太郎はその原稿を手に取り確認する。緻密な描き込みに迷いの感じない線。彼女は仕事が早いだけではなくてとても正確だった。慎太郎にはこの正確さ、そして速さはどうして身に付かず、理解も出来ないものだった。

 同じ人間なのにどうしてここまで差が出るのか。更に皮肉なのは慎太郎とぽぷらは年齢に差がないということだ。

 両者とも二十五歳。漫画を描き始めたタイミングも殆ど似たり寄ったりのようで、経験によるハンデなんてものはなかった。それが慎太郎にとっては劣等感をくすぐられるようで、ぽぷらに嫉妬心を抱きはじめるのに時間はかからなかった。

「んにゃ? しんちゃんどうしたの?」

 ずっと見ていたことにやっと気づいたぽぷらは間の抜けた声で話し掛けてくる。

「先生の仕事を見てました。何か参考になればと思って」

「お~、しんちゃんは勉強熱心だね。じゃあお役に立てるように頑張らないとだ」

 ペンを握りしめながら両手でガッツポーズをしたぽぷらは再び作業に戻る。慎太郎の言葉が嬉しかったのか身体を大きく動かしノリにノッているようだった。その姿に苛立ちを覚えながら、慎太郎は見つめていた。

(気楽に漫画を描きやがって、こっちはどれだけ必死で描いてると思ってるんだ。それなのに彼女の作品だけが日の目を浴びて……注目されて)

 自分で考えながら涙が出そうになってきた。一体、彼女と自分に何の差があるのだろうか。何が劣っているのだろうか。考えれば考えるほど。答えは見えなくなっていた。

「……すぐに掛かれる仕事はありますか?」

 慎太郎は気落ちしたままぽぷらに言った。何か作業をしないと、自分は頑張ってるんだと思わないとぐずついた天気と同じ様にじめじめした性根に身体が溶けてしまいそうだ。

「んー、そうだね――今はないかなぁ。仕事が出来たら声掛けるからしんちゃんは自分の作品やってていいよ」

「そうですか、じゃあそうさせてもらいます」

 重い吐息と一緒に吐き出すように言うと、そのまま自分の席へと戻った。引き出しから自分の作品を取り出して机に並べる。

(まったく、嫌になるな……)

 彼女の仕事を手伝うようになって自分の力不足を実感するだけでなくもう一つ、とても厄介な弊害があった。ぽぷらの原稿があまりに秀逸で、自分の原稿を見ているとまるで子供が描いたかのように稚拙に思えてしまうのだ。

 無論、自分が考えれる最高の話、それに加えて魂を削るように線を乗せていった力作だ。それでも……彼女の作品を見た後には何もかもが劣っている駄作にしか感じなくなっていた。

 特に登場してくる女の子。ヒロインとなる女性に驚くほど魅力を感じないのだ。

ぽぷらの作品に登場する女の子たち、ヒロインは勿論その友達にあたる|所謂《いわゆる》モブキャラですらも魅力的で、本当に存在するかのように振る舞っている。女性だからこそ成せる感性的なものなのか。それとも、そこすらも才能の差なのか。何にしても圧倒的に存在感の違う女性キャラクターを何とかしなければ、自分の作品を進めることは出来なかった。

(くそ、しかしどうやって改善すればいいんだ)

 頭の中で改善案を模索するが全然上手くいかない。ここ最近ずっとこの調子だった。

 思えば自分は学生時代から漫画を描くことばかりにかまけてきて交友関係を怠っていた。幸い男子の友達には恵まれていて、漫画を見せることで関係が続いていたが、女性ともなるとそうはいかない。

 自分の書いている作品は少年漫画だ、絵で褒められることはあっても話に共感してもらえることは無かった。そして何より、自分自身に女性と話す甲斐性が全くといっていいほどなかった。褒められたとしても素っ気なく「ありがとう」と定型文の如く返すばかり、終いには褒められることもなくなり男ばかりに囲まれてしまっていた。

 それが原因なのだろうか、魅力的な女性というものが慎太郎には見当がつかなかった。読者に対して魅力的で理想的な女の子……問題点はわかっているのに改善するキッカケがないことに心ばかりが焦ってしまう。

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