なかよし家族
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4,大人しい長女と大人な経験をしてしまった。(3)

「たっ君……ひ、久しぶり……」
「う……うん、久しぶり……」

 同じ家に住んでいる人間とする挨拶ではないと思いながらも、龍之助は同様に返事を返す。
 なぜなら実際、久しぶりに出会ったからだ。

 学校を卒業してから順当に就職出来た静江は、人間関係が上手くいかずに一年余りで退職した。
 元々中学に入ってから、部屋に籠りがちだった彼女だが、この件がきっかけで完璧に引きこもってしまっていた。
 たまに深夜、トイレに行こうとするとキッチンで出会ったりすることはあったが……部屋にくるなんてことは今まで一度もなかった。

(急にどうしたんだろう……)

 静江の様子を確認しながら、龍之助は訝しんでシワを寄せる。
 龍之助の表情を見て、迷惑がられてると思ったのか、静江は声を裏返しながら慌てて話し始めた。

「ご、ごめんねたっ君。急に部屋に来ちゃって……いきなりきちゃって、意味わかんないよね。迷惑……だったかな?」
「え……いや。そんな事はないけど」
「ほんとっ!……良かったぁ……」

 龍之助の言葉に、静江は表情を輝かせる。
 嬉しさに破顔した彼女の顔はとても可愛らしく、思わず見とれてしまっていた。

「――あ、ごめんね、立たせっぱなしで、どうぞ」

 姉を待たせていたことにハッと気付いた龍之助は、部屋の中に静江を招く。
 部屋に入った静江は、ベッドに腰かけてから辺りを見回す。

「お部屋、結構スッキリしてるんだね……」
「ん、そうかな?」
「うん……男性の部屋って感じがする」
「あー……確かにそうかもね」

 静江の言葉に相槌を打ってから、家具に目を配る。
 必要最低限の家具だけ置かれた殺風景な部屋は、確かにスッキリしていると言えるかも知れない。

 元々趣味や趣向品が多い方でもない龍之助の部屋は、意識する訳でもなく、必要最低限の調度品だけが置かれていた。必要最低限だけの個性を感じない部屋の様子は、静江の言う通り、一種の男らしい部屋に見えないこともない。
 静江の意見に共感しつつ、龍之助は次の言葉を待っていた。

「……」
「…………」

 いや、続かないんかい。
 特に何も思いつかなかったのか、静江は部屋の感想だけを述べてから、黙り込んでしまっていた。
 なんだか中途半端な状態で会話を放り出されてしまった龍之助は、居心地の悪さを感じながらも同じく会話を切り出せずにいた。
 必死に頭の中から、話題になりそうなものを捜索する。しかし全然思いつかない。

(うーん……何を話したものか……)

 ベッドで項垂れるように下を向く静江に目を配りながら、必死に話題を探すが見つからない。
 何せ静江とは全然接点がないのだ。たまに話すことはあっても、今のように会話が弾むこともなく静江はそそくさと部屋に戻ってしまっていた。
 その状態は身体に異常が出る前からずっと続いていて、まともにコミュニケーションを取ってくれない静江に対して、自分は嫌われてるのではないのかと思うほどだった。
 それなのに、突然静江の方から部屋にやってきたのだから龍之助は何事なのかと困惑していて、正直なところ、話題を探すどころではなかった。

 だけど、静江もずっと下を向いたまま動こうとしない。
 重くなっていく沈黙に、押し潰されてしまいそうだった。
 龍之助は耐えきれず、思いつくまま会話を始める。

「ところで、今日はどうしたの? 何か用事かな?」
「……」
「ていうか、こうやってお話するのも久しぶりかな。あ、結構髪伸びた? サラサラで綺麗な髪だよね!」
「…………」
「あーー……えっと……」
「………………」

 誰か助けてください!
 誰かーー! 助けてくださーーい!!
 沈黙に圧し潰されそうになりながら、龍之助は心の中で必死に助けを求める。
 しかし 助けは 来なかった。

「……あ、ありがとう」

 突然、静江がそう言った。

「へ……?」
「……髪、綺麗って言ってくれて……」
「あ、あー……うん! 綺麗だよ、静江姉ちゃん!」
「ふえぇ!?」

 龍之助が言うと、静江は湯気が出るくらいに顔を真っ赤にして、爆発しそうなほどに慌てふためく。

「え?……あっ、髪っ! 髪のことねっ! 髪が、綺麗だね、ってこと!」
「ふえぇ……」

 勘違いしたのだと思い、龍之助が訂正すると、静江は絶望の淵に立ったのかと思うほどに落ち込んで見せた。

(うわーん! もう無理だー!)

 成す術が無くなった龍之助は、頭を抱え込んで言葉に詰まる。
 すると、申し訳なさそうに声の調子を落とした静江の声が聞こえた。

「……ごめんね。面倒だよね、私」
「あ、いや――」
「ううん、いいの……自覚してるから」

 静江は顔を逸らしながら、太腿で腕を挟み込むようにして縮こまる。
 静寂の空気の中、自然と聞こえる衣擦れの音がなんとも官能的に聞こえてしまい、心臓がドキリと鼓動する。

「……私ね、聞いたんだ。たっ君の病気のこと……たっ君が大変な思いをしてるのに、何も気づいてあげられなくて、ごめんね?」
「……もしかして、それが言いたくて?」

 龍之助の言葉に、静江は頭を縦に振った。

「本当はもっと、たっ君と仲良くしたかったの……でも私にとってたっ君はとても眩しくて……話しかけられるだけで緊張して……いつも逃げ出しちゃってた」

 声を震わせながら、静江は振り絞るように会話を続ける。

「そうやって逃げてたせいで、たっ君の異変に家族で唯一気付いてなかったなんて、酷いお姉ちゃんだよね……」
「静江姉ちゃん……」
「……」

(なるほど……いつも逃げ出すように離れていったのは、本当に逃げていた訳なのか)

 静江の言葉に、龍之助は合点がいき。それと同時に、自分は嫌われて無かったとだと知って安堵した。
 弟の体調が悪いことを聞きつけて、自室から中々出てこない姉が部屋にまで来てくれたのだ。嫌われているどころか、むしろ溺愛されていると言ってもいい。
 龍之助は嬉しくなって、笑顔を作る。

「静江姉ちゃんは自分のことを酷い姉だと言うけど、僕はそんなこと思ってないよ」
「……たっ君」
「むしろ逆だよ、僕のことを聞いて、心配で駆けつけてくれるなんて……凄く優しい姉だと思う」
「……」
「心配してくれて『ありがとう』。静江姉ちゃん!」
「……うん……うん」

 素直に感謝を述べてみれば、静江は心底嬉しそうに、何度も頷いて見せた。
 些細な思い違いが、お互いの優しさで氷解するような気持ちだった。
龍之助も屈託のない笑顔をみせながら、同じ様に頷いて見せる。
 その姿を見て安心したのか、静江は調子を上げて話し始める。

「あのね、私ね、たっ君が爆発するって聞かされて、最初は何がなんだかわからなかったけど、納得してからは本当に心配したんだよ」
「うんうん」
「ママも亜花梨も、私に話さずに二人で愉しんでて、おかしくなりそうだった」
「うんうん……うん?」
「だから、私もたっ君のお世話……しないと、って」
「静江姉ちゃん?」

 楽し気に話す静江に頷いていれば、知らず知らずの内に彼女は龍之助の近くまで近寄ってきていた。
 眼前まで来た静江の顔を見上げると、頬を朱に染めながら、目尻を下げてこちらを見ている。

「好きだよ……たっ君。弟としてではなく、男として……」
「うん? うんん……?」

 息を荒げながら、龍之助に求愛する静江に、聞き間違いかと首を傾げる。

「好き……。私の身体……好きに使って……」
「ちょ、ちょっと待って。理解が追い付いてなくて……」

 すれ違いがあった姉弟が和解した、そんな雰囲気だったはずなのに……気が付けば濡れ場に変わっている。龍之助は思考が追い付かずに狼狽していた。
 勿論、静江の誘いは龍之助にとっては嬉しいものだった。控えめにいっても可愛らしい見た目をしている静江は、龍之助から見てもとても魅力的だ。そんな彼女が「好きにしていい」と言っているのだから、男冥利に尽きるというものだ。
 しかし、龍之助には奇病のせいで介護をしてもらっているという負い目が少なからずある。その上で静江にまでしてもらうというのは、どうにも二の足を踏んでしまう。

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